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過程を前にして所詮は無力な存在でしかなかった。かといって、法規の形式的な解釈のみに専念する法律学的な思考様式だけでは、新たな政策課題や住民の多様なニーズに柔軟に対応できないだろう。恐らく、テクノクラート的な従来の政策科学や官僚の法学的思考の限界が認識される中で、対立する価値や利害を前にして総合的な判断を下すことのできる人材を育成する「マインドとしての政策科学」の必要性が浮上してきたのであろう。そして、そうした政策マインドを持った人材が政策形成の現場に進出することによって、地方分権が確実に進んでいるにもかかわらず、依然として1日来の形式的・先例踏襲的思考を脱却できず、心ある住民と深刻な対立関係に陥っている地方自治体の現状も変わって来るのではなかろうか。
だが、SFCをはじめとする政策系学部が企業や官庁の注目を集め、受験生の人気が高いというのは、残念ながら上記の理念が正確に理解された結果ではない。そうではなく、理念を実現する手段でしかない「情報処理能力」と「外国語能力」の養成が大学教育に実学志向を求める特に企業のニーズにマッチしたにしか過ぎない。したがって、政策系学部の学生に対し社会の側が抱く最大公約数的イメージは「政策マインドをもった人材」というものではなく、「コンピュータの運用にたけ、使える外国語知識を備えた学生」(前掲『挑戦する立命館』より)というものであろう。このイメージを裏返せば、政策系学部は所詮は「コンピュータ専門学校」でしかないということになろう。「湘南藤沢コンピュータ専門学校」(この言葉は、原田浩二「日本の大学はどこへ行くのか」川成洋編著『だけど教授は辞めたくない』ジャパンタイムズ、1996年から引用)とは、SFCの成功により相対的に地盤沈下した慶応の在来学部関係者からの陰口であるが、それはある面で政策系学部の現実を鋭くついている。
私が言いたいのは、外国語や情報処理能力は、たしかに政策形成や政策実施、政策評価にあたって、あるに越したことはないが、別にないからといってその人間が政策立案者として無能力というわけではないということである。開発にさらされる丘陵で生息するオオタカを守ろうとして必死の思いで活動している市民の声や、自宅の近くに産業廃棄物の焼却場が林立し、そこから出るダイオキシンの被害に悩まされている市民の切実な声に対応した政策の立案に必要なのは、まず住民やオオタカに対するシンパシーであり、現行法制上の制約や関係者の矛盾する利害を総合的に考慮した上で決断できる判断力である。
語学やコンピュータを優先的に学びたい学生には、現行のカリキュラムのままでよい。しかし、語学も情報処理も駄目だが、自治体の現場で住民のために働きたいという学生に

 

 

 

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